あれは、幼稚園の年中さんの頃でした。(といっても、覚えてませんが)
うちのおかんが、近所のピアノ教室に私を入れました。
おかんは、若かりし頃、都会の専門学校に行っていたのですが、そこで知り合ったお嬢さんたちが、ピアノを弾いていたとき、自分だけ弾けなかったのが、かなりさえなかったようで、女の子がうまれたら、ピアノを習わせようと、思っていたらしいのです。
しかし、逆に、もし男の子が生まれたら、
コインロッカーに捨てようと思ってたとも言っておりました。
女の子でよかったですね~私。あぶないところでした。
ちょうど、おとんの叔父さんの孫が過去に通っていたピアノ教室が近所にあったのです。
そして、うちの近所のおこちゃま達は、みんなそのピアノ教室に通っていたのです。
近所=ちょっと大きくなったら、送り迎えがいらない!のです。
おかんは、よく考えたなと思いました。
その時代は、今のように危険なストーカーや変態は流行っていませんでしたからね!
今は、危険ですね。私もたまに、怪しい手紙をもらったりします。名前を間違えられてますが。
それはさておき、たぶん、近所にピアノ教室は、そこしかたかったんでしょう。このピアノ教室のF・N先生という、おかんより、2回り近く上の先生でした。干支はいのぴーです。
さてさて、ピアノの教本ですが、おとんの叔父さんの孫のお下がりで、
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子供のバイエル(下)
俗に言う、黄バイエルchanですね。ドの位置がわからなかったので、
♪黒ちゃん黒ちゃんド♪
等という、呪文を教えられ、黒い鍵盤二個あるほうの、こっちがド!と強引に覚えらされました。
ピアノは持っていなかったので、これがまた、おとんの叔父さんの孫のお古の電気オルガンで練習?していました。(記憶なし)
それから、小学校に上がるまでにピアノが家にやってきました。
今聞くと、友達が買ってもらったやつより、10万安いやつっていわれました・・・(ガーン)
年長さんのときには、発表会も出ました。
パパとわたしがどーのこーのって曲だったと思います。
小学校2年生のときは、クシコスの郵便馬車の簡単バージョンを弾きました。
発表会は、4~14歳の間で、2回しかありませんでした。
先生が、もう年だから、たいぎいわ~と・・・言って、小2以来、発表会はなかったのです。
※たいぎい・・・・疲れた。めんどくさい。うざい。
すべてを統合し、また、使うシーンによって意味が
異なるすばらしく便利な広島弁。
さてさて、次に私の弾いてきた本を書いていこうと思います。